和牛の未来を育む家畜人工授精師の藤山粋さんをご紹介します。
東京の華やかな夜のホストとして成功し、現在は地元鹿児島で和牛業界で新たな挑戦に取り組んでいます。
自らの道を切り開く中で、都会の光とは異なる牧場での生活を選んだ藤山さんの物語は、異例のキャリア転換と成長を象徴しています。
藤山さんは、霧島市福山町で次男として生まれ、18歳まで過ごしました。
転機は、内気だった小学3年生の時、学級委員長選挙に初めて立候補し、選ばれた事で「目立つ喜び」を知りました。
小学校でサッカー、中学校で野球、高校でバスケットボールを楽しみ、高校時代には「お金持ちになりたい」と夢を抱き、父親の助言で獣医を目指すことを決意し、勉強の末、日本獣医生命科学大学(当時:日本獣医畜産大学)に推薦で合格し、東京での大学生活が始まります。
大学生活が始まり、二十歳の成人式では、真っ赤なスーツを着て目立ち、当時のヒップホッパーの人たちに憧れ、色々な独自のスタイルをしていました。
そんな遊び心満載の青春時代でしたが、ある日突然水商売の世界に足を踏み入れる事となりました。
「ホストになりたい!」という思いより、お酒が好きで、派手に遊び、目立ちたかった!それができる商売がホストでした。
目立つ格好をし、おしゃべりも大好きだったので、そこに楽しさを見出し、指名客が増え、ホストとして生活をしていました。
すると、学業を忘れ本末転倒となり、欲が表に出てしまい、欲の塊の世界に身を投じる事になりました。
26歳になった頃、父親から一通の手紙をもらいました。約22年前の話です・・・。
当時は、電話やファックス、メールもある中、毛筆で便箋4枚に認められた手紙が届きました。
「お前はもう10年も東京で好きな事をやっただろ!そろそろ帰ってきても良い頃じゃないか?」という内容でした。
その手紙を当時付き合っていた20歳の彼女に見せました。
当時、ホストで売れていたので、この世界で生きていこうと思っていたところ、彼女から「お父様からこの手紙をもらって帰らなかったら、ただの親不孝だよ!親不孝者で終わるようなあなたと半年先に一緒にいる自分の姿が見えない!」って言われましたた。20歳の女の子がそんな事言うんですよ!
大好きな彼女だったので、すごく考えさせられ、人の為というか、当てにされる人生って大事だなって思いました。
自分の為にって思っていた人生でしたが、初めて人の為にって思い、実家に帰る決心をしました。
27歳の時に鹿児島へ帰り、父親から初めて頼られ、牛の世界に飛び込んだけど、幼少期から見てきた景色とは違って、牛を可愛がったりミルクをあげたりするだけじゃなく、それを実益に変えないといけませんでした。
年下の後輩が何年もキャリアがあり、「人の三倍は努力しないと勝てない!」「親の七光で商売できるほどこの業界は甘くない!」と、そう感じました。
しかし、ラッキーな事に、父親が人工授精師でしたから、「親の七光なら僕も一個載せて八光になれるかもしれない」と考え方を変えて前向きに頑張り、技術と人脈、人付き合いを大切にし、お世話になる人の話を全て聞き入れる事にしました。
その時に背中を押してくれた「半年先のあなたとの姿が見えない!」と言ってくれた大好きな彼女がまだ付き合ってくれていましたので、「絶対に幸せにしてあげないといけない!」という覚悟で、東京と鹿児島で遠距離恋愛をしていましたが、結婚を決意しました。
家畜人工授精師という仕事の魅力は、誰もが必要とする食事に関わる仕事であり、たとえ天皇陛下や総理大臣が食べるかもしれない牛を育てる事ができるというのは、とても夢を感じました。
食育は普及していると思いますが、与えられた恩に報いるのではなく、その恩を次へと送る事が大切だと感じています。特に子どもたちが肉を食べる際に、和牛という食材について、その背景や価値を深く理解し、日本だけでなく世界にその重要性を伝える事が自分自身の使命だと考えています。
独自の世界観について・・・
ファッションは、無害と有害の両方を持つと考えています。
自分を知る事が最高のオシャレだと思っています。服装は人によって似合ったり似合わなかったりしますが、それがオシャレかどうかの鍵です。
自分を知っているからこそ、自分らしさを表現できるんです。
藤山 粋/Fujiyama Iki
ホストから家畜人工授精師へ転身し、和牛業界に新たな道を切り開いた藤山粋さん。目立つ事を楽しむホストから、和牛の未来を育む地元の畜産業に貢献する姿へと大きく変わり、新たな挑戦と成長は、異色のキャリア転換の象徴です。