焼酎業界に新風を吹き込んだ国分酒造の歩み!
様々な困難を乗り越え、唯一無二の味わいを生み出してきた、国分酒造の代表取締役、笹山護さんをご紹介します。
高校卒業後、東京の大学に進学し理系分野を専攻し、バブル経済真っ只中の時代に東京の銀行へ入行しました。
高度経済成長期の勢いを感じながら、銀行の採用も活発で、企業が優秀な人材を確保しようと鎬を削っていた時代です。
しかし、銀行員としての生活を送る中で、ふと頭をよぎったのは、故郷である鹿児島での家業の存在でした。当時、親が経営していたのは瓶詰め工場としての「加治木酒造」。その後、新たに「国分酒造」が立ち上がり、本格的な焼酎づくりが始まりました。「いずれは家業に戻ってこいよ」という父の言葉が心の片隅にあり、次第にその思いが強くなりました。
焼酎づくりへの道は、単なる家業の継承ではなく、東京での経験を生かし、地域への貢献を目指す新たな挑戦でもあり、バブル期の東京で得た経済感覚や視野の広さを、いかに地元の焼酎文化に融合させるか・・・。
その想いが、現在の国分酒造を支える原動力となっています。
平成10年、家業である国分酒造に戻る決意をしましたが、当時はまだ焼酎ブームが訪れる前で、県外への出荷はほとんどなく、焼酎市場は厳しい状況でした。
東京生活の経験を買われ、「東京で焼酎を売ってこい」と父から背中を押され、都内での営業活動に取り組みました。しかし最初は、焼酎の魅力を伝える前に「訳の分からない奴が来た」と門前払いされる事も少なくありませんでした。その辛さは、地元で育まれた焼酎の可能性を信じる気持ちで乗り越えました。
そんな中、転機となったのが「芋100%」の焼酎です。
当時、一般的な芋焼酎はさつま芋と米麹で造られていましたが、国分酒造はさつま芋と芋麹のみで焼酎を仕上げるという画期的な製法を開発しました。
試作品を携え営業先を回ると、驚きとともに興味を持ってもらえるようになり、次第に評価が広がり、「芋100%」が国分酒造の代名詞とも言える存在に成長していったのです。
振り返ると、芋100%の焼酎がなければ、今の国分酒造の発展はなかったと思います。
困難な状況から挑戦を重ね、その楽しさを糧にして歩んできた道のりが、今日の国分酒造の土台となっています。
笹山 護/Sasayama Mamoru
これからも美味しい芋焼酎を沢山広めていきたいと思います!
国分酒造株式会社
〒899-4303
鹿児島県霧島市国分川原1750
TEL:0995-47-2361