「友」の力は偉大だねぇ〜本当に感謝です!友人たちがいてくれたおかげで、今の僕がいますよ!
笑顔で前向きな植山竜三さんを取材しました。
植山さんは、21歳の時に交通事故に遭い、車椅子生活になりました。
交通事故を起こした直後は意識があり、その時の植山さんは側溝に落ちていたそうで、側溝から立ち上がろうと思った瞬間に力が入らず、足を触った時には感覚がなかったと・・・。その時に一生歩けないかもと悟ったそうです。
事故後、警察の方から「車から飛び降りたんじゃないかな・・・」と言われ、カーブでスピードが出ていて、ブレーキを踏んだら滑り、その後、運転席が電柱にぶつかって、全てなくなっていたそうです。もし、車の中に乗っていたら即死だったと・・・。車のだいぶ後ろに植山さんがいたことから、きっと飛び降りたのだと思うと伝えられました。
植山さんは「きっと、ジャッキー・チェンの映画を見すぎて、飛び降りたのかな」と・・(笑)
事故後の手術を終え先生から、「もう二度と歩けません。奇跡はありません。神経が完全に切れています。」と告げられましたが、自分でも「もう歩けないだろう」と悟っていたので、すぐに受け入れることができました。
何よりも友達の力は大きかったです。
友達が病院へ来てくれて「リハビリ行くよ!」って連れ出してくれたのが心強かったです。よくキャッチボールをしていました。
車椅子になっても、みんなと変わらない付き合いができたのが嬉しかったです。車椅子だからと、みんなが気を遣うことが全くなく、いつも通り接してくれた友人たちがいたから、今の自分がいるし、障がい者になったんだっていう思いをしなかったです。
だから、車椅子生活になって落ち込んだことは、ないです。
しかし、子育てには悩みました。
普通のお父さんみたいに遊んであげられない。そして、危ない時にすぐに助けに行けなかったりしました。車椅子生活で悩んだことは、それくらいかなぁ・・・。
常に周りの人が助けてくれている。自分一人の力だけじゃとてもじゃないけど、ここまでの生活はできていないと思います。
基本的に前向きで、何かあっても、「じゃ、どうしようか!」って考えますね。
車椅子生活になった時も、「車椅子になった・・・どうしようか!?」と考えて出てきた答えは、「次は車椅子を乗り回せるようになったら、色々なところへ行けるな!だから、リハビリを頑張って1日も早く退院できるように頑張ろう!」って思いました。
車椅子生活になってみたら、意外と目標があるので、普通に生活しています。考えているようで何も考えていない!楽しいことだけを考えているかなぁ・・・。
今から7年前に、車椅子で散歩をしていた最中に、地元のお好み焼き屋の女将さんが「久しぶりだったね!元気だったね?心配してたよぉ〜!」って声をかけてくれた事がとても嬉しくて、このコミュニケーションを大切にしたい!そういう思いで、車椅子でも気軽に行けるお店紹介をする情報誌を作りたいと思い「車いすの和通信」を作ろうと決意しました。
車椅子の人がお店に通って会話ができる、過ごしやすい環境でお店に入ってほしい!そんな思いで記事を書くことにしました。記事を読んだ時に、少しでも自分が行った気持ちになれるようになってほしい。そして行った人が、その場にいる姿を想像できる記事を目指しています。
今後は、「紙媒体ってこの先どこまで続けられるのだろうか?」という思いがあり、携帯電話(スマートフォン)が主流になるので、SNSでの発信を頑張りたいです。そして色々な繋がりを大切にしたいです。
霧島市の魅力を案内できるような記事を書きたい!そして、海外からも来た時に紹介できるように、英語を一から勉強して外国の方にもたくさんの魅力を紹介したいです。
植山竜三/Ueyama Tatsumi
「友」の存在は偉大でした!仲間たちに感謝です!
【植山さんが取材している情報誌:車いすの和通信】
HP:https://tatsuueyan.wixsite.com/kurumaisunowa
〜合言葉は笑顔の輪〜